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遠く 宿縁を慶べ

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2024.04.04

 美濃国土岐氏の末流にして伊勢路に流れ来りし者ならん。当山の縁起は、小古曽町の南方(内部川の南の五百山)の地に、城郭を構えし時、良位に中るので祈願所として、真言宗米田山珍寳法鎮寺を創建し、この地俗称米田の森と称し、旧跡今に及ぶ。その後、当寺の末弟、真蓮阿闍梨が当町の北面小丘、現大蓮寺西北に、俗称大蓮の地に堂宇を建立し、米田山大蓮寺(だいれんじ)と称す。その後兵火にあい堂宇焼失するが清順法師の代に大蓮より現在地に遷し堂宇再興。この当時文亀二年(1502年)に専修寺第十世真慧上人が三重郡小松村にご逗留、その教化の砌悉く僧俗共に上人に帰依し、上人感激のあまり恵心僧都真筆の阿弥陀尊像一軸を賜る。ここに清順真言宗より真宗高田派に転派す。寛正元年(1460年)に、真宗高田派専修寺末寺米田山大蓮寺として清順上人により開基す。その後、文化十年十二月(1813年)に再建され、本尊は第九世順察上人の記によると、快慶作の阿弥陀如来立像(御丈一尺五寸)が安置されている。當山寶物の鏧には天慶五年(942年)の銘刻す。

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